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ナチスの真実を映像で伝えようとした裁判「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」を観てきました。【感想・レビュー】

映画 映画-洋画 劇場鑑賞 レビュー

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カミキユキ(@KamikiYuki)です。
ナチスドイツといえば、アドルフ・ヒトラーですが
この作品はアドルフ・アイヒマンにまつわる映画です。
「アイヒマン・ショー」を観てきましたのでご紹介します。

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1961年、ホロコーストに関与し、数多くのユダヤ人を強制収容所に送り込んだ元ナチス親衛隊将校アドルフ・アイヒマンの裁判が行われることになった。テレビプロデューサーのミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)と、撮影監督レオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパリア)はこのニュースに関心を持つ。彼らは裁判の模様を放映しようと意気込み……。

- シネマトゥデイ -

アドルフ・アイヒマンとは

アイヒマンはナチスドイツの将校でホロコースト、
ユダヤ人問題の最終的解決の指揮をおこなっていた人物。
いわゆる反ユダヤ主義の下、ユダヤ人を大量虐待を越えて大虐殺を提示しました。
終戦後、アルゼンチンで逮捕され裁判により絞首刑となりました。

ナチス・ドイツ

第二次大戦にいたるまでにドイツをはじめとした
ヨーロッパ諸国を掌握していた労働者党の独裁政治。
総統はアドルフ・ヒトラー
当時まだ新しい戦略、映像の力を持ってプロパガンダを行いました。
映像というとは言葉や音と違い直接視覚に訴えるので効果的な技術でした。

この映像の力でナチスで行われていたことを裁判を通して伝えようとしたというのは
その力を理解しているナチスにとっては皮肉な話でしょう。
ちなみに6月18日よりヒトラーが自殺したはずが現代にタイプスリップした
「帰ってきたヒトラー」が公開されています。
広島ではまだですが、これつながりで観にいきたいですね。

野心に燃えるプロデューサーと一人の人間として撮影した監督

アイヒマンの裁判により、これをテレビで放送したら革新的なものとなると
行動したのがマーティン・フリーマンが演じる
プロデューサーのミルトン・フルックマン
彼は次第に浮き彫りとなってきたナチスの非道をアイヒマンの裁判による証言で
リアルタイムで見せることで世界に衝撃を与えられると考えていました。
そこにはこの企画をもってして上り詰めてやろうという野心が
マーティン・フリーマンの演技からも観られます。
ミルトンはこの企画を成功させるために方々からスタッフを集めました。
その監督に選ばれたのがアンソニー・ラパーリア演じる
ドキュメンタリー監督のレオ・フルヴィッツ
レオは反共産主義に基づくマッカーシズムの煽りを受けて
ブラックリストにのっており、10年以上銃に仕事ができないでいました。
彼はアイヒマンモンスターではなく、自分たちと変わらない人間であると考え、
その様をテレビを通して伝えたいと考えていました。
生まれ来る者は何が非凡な男を極悪非道な人間へと変えたのか、
自分たちも生き方次第ではアイヒマンになり得たと考えていたのです。
しかし、スタッフの中には彼の考えに異を唱えるものも多くいました。

「アイヒマンは我々と同じ人間ではない、わたしはアイヒマンにはならない」

実際、この時初めていかにも非凡な男を目の当たりにし、世界がそれに驚愕。

前半はテレビ放送に至るまでの問題や妨害と解決

ぼく自身ここがメインの映画だとばかり思っていました。
しかし、そこから裁判終了までのテレビマン生き残ったユダヤ人
ナチス残党それぞれの立場を見せた作品でした。

前半は裁判のテレビ放送の実現に向けた行動、
スタッフ同士の確執、主にレオとスタッフの異なる主張が印象的でしたね。
そして、盲目的な残党の妨害といった問題です。
妨害は自身や家族の生死に関わる問題で、直面した彼らは戦慄しました。

テレビマンの物語であると同時にドキュメンタリー

本作はアドルフ・アイヒマンの裁判をテレビで放送する為に動いた、
プロデューサーと映画監督を中心としたストーリーであると同時に
実際の裁判の映像を折り込んだドキュメンタリー映画です。
当時の映像はそれは悲惨なもので、ユダヤ人やせ細った姿
生きてるのか死んでいるか分からないような姿でハエにたかられている姿
裸体のまま山のように積まれている場面、
それを重機でその辺の土砂を押すように轢かれる場面...
今でも信じられない映像でした。
当時の人々にはより信じられないと言ったところでしょうか。
目を覆ったりその場を立ち去る人々も映されていました。
アイヒマンはそれを臆することなく見続けていましたね。

ぼく自身、人間ってこんなになってしまうのかと疑うばかりでした。